ミッドライフ・クライシス日記

どうも調子が悪いのは、ミッドライフクライシスってやつなのではないだろうか。

中年の危機、空の巣症候群、更年期。

なんと言っても同じだけど、ニュアンスはちょっと違う。

いろいろ読み漁ってみた感じ、ミッドライフ クライシスというのが、一番前向きな感じがしたので、今の状態はミッドライフクライシスと思うことにした。

 

だって、ですよ。

男の更年期、と言ったら、もう男性ホルモンの量の話とか、若い女の子と浮気する話とか、そんなのばっかりじゃないですか。

ところが、Midlife crisisで検索したら、スポーツカーとか出てくる。経済状況によってフェラーリになったりドライビンググローブだったりするけど。

 

これまでできたことがだんだんできなくなり、目も見えにくくなり、頭の回転も以前ほどではなく、体もあちこち痛くなる。なにより、残された日々が限られていることを改めて突き付けられる。したかったことをする時間は、もうあまりない。ほしかった物が仮に手に入っても、もう十分に楽しめないかもしれない。何かを学んでも、活かせる時間は十分にはないかもしれない。

今はまだ大丈夫でも、いつまでも大丈夫なわけではない。なんと言っても、前ほど意欲も湧かない。

 

もがいてみようと思う。

【聞書き】梅本さん 大正6年生まれ (3) 最近のこと

 【 最近のこと 】

 

歳は取ったけどね、まだ認知症じゃないよ。
頭は使わないとダメだからね。毎日、新聞読んでます。耳は遠くなったけど、目と頭は大丈夫だから。
年取ると、新聞も読まなくなってラジオも聞かなくなって、だんだん世の中のことが分からなくなっちゃう。そういうのはよくないから。
それから寝る前にね、百人一首を暗唱してます。
 逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり 、とか。
電話番号も覚えてます。熊本の親戚、島原の番号。
島原はね、姉がお嫁に行ったの。

最近の人は、酔っても歌を歌わないね。私の頃はね、みんな酔って歌を歌ったのよ。(歌う)
こんな古い歌は、最近の人はもう知らないでしょ。

きららに行ってもね、デイケアね、みんな居眠りしたりして、私はみんなのお世話してるの。男の人でもね、よだれ垂らしたりしてね。拭いてあげるの。私より若いのにねえ。
若い人たちが働いているからね。動ける人はお手伝いしないと。ぼんやりして迷惑かけてるばかりじゃダメだから。
そうしたら、梅本さん助かるわ―って、喜んでくれる。役に立たないとね。
歌を歌ってあげたりね。若い人の知らない歌だから、年寄りは喜ぶの。慰問に行ってるようなもの。

ご飯はね、きちんとこうして正座して食べます。
女だからね。だらしなくないようにしないと。


年取ると、あまり楽しい事はなくなってくる。友達もへっちゃうし。兄弟も亡くなってしまうし。
でもね、ご飯はおいしいのは楽しみ。
ご飯がおいしいのがありがたい。
あと、3年生きられるかなあ。

【聞書き】梅本さん 大正6年生まれ (2) 尼崎を経て横浜へ・子供のこと

【 尼崎を経て横浜へ 】 

夫はアサヒガラスの研究所に勤めていまして、転勤で尼崎に行きました。
尼崎に行きましても、私はぶらぶらしているのは好きではないので、バスガールをしていました。
今の人は敬語なんて使わないですけどね、家族でも友達みたいに話してる。当時はね、バスガールはきちんと敬語でお客様に話したものです。どちらまでおこしですか、お足もとご注意願いますってね。
そうやって、16年働きました。

そのあと、主人の働きがよかったんでしょう、鶴見(横浜)の研究所に異動になりまして、こっちに来ました。
私は主人の職場を見せてもらいに行ってね。ガラスの研究所というのは、それはもう暑いところでした。こうやって暑いところで汗流して苦労して稼いできてくれるのだから、一銭もムダにはできないと思って、ありがたいって思いました。
私もね、工場のお掃除の仕事させてもらったりして働きました。
今はなんでもお金払えばできるけど、そうやってたらお金なんていくらあっても足りないでしょ。悪くなった物は繕ってね。大事に使うものです。服だって、ずーっと買ったことなかったの。お父さんのね、悪くなったズボンがあるでしょ。あれをね、ほどいて私の服にしていたの。
そうやって節約してね。孫にあげるの。

始めはね、工場のそばに住んでいたんですけど、ここの土地があるって聞いて、買ったの。
56坪!
始めはお父さんにも内緒でね!!
鶴見からはちょっと遠くなるけどね。当時は畑ばっかりだったのよ。
今はこんなに家ばかりになっちゃったけど。

 

【 子供のこと 】

息子はね、大事だからね。学校もね、小学校もこの辺の学校にやらないで、駅の方の学校にやってね。中高はね、浅野に行かせたの。それもね、私が調べて学校見に行って、ここがいい、と思って。
大学は早稲田の国文。それで学校の先生になったんだからね。
やっぱり子供は大事。学校は大事にしないと。
私は女学校も出てないし、学はないけど、子供にはきちんと学校行かせた。そういうのは分かります。

近所の子も大事にしないとね。
この辺の子も、元気にあいさつしてくれるよ。大事にしてればね、子供だって分かるからね。

【聞書き】梅本さん 大正6年生まれ (1) 結婚まで・結婚

梅本先生(仮名)のご母様  

                お話を聞いたのは、2015年1月

 

 

【 生まれ育ち・結婚まで 】

97才になります。
大正6年9月19日の生まれです。
女ばっかり6人兄弟の末っ子です。

生まれは鹿児島です。
父は結婚前にアメリカのサンフランシスコで3年暮らしたことがあるような、そんな人でした。

私も北京に行ったのよ。結婚前。
姉が北京にいてね、お産で手伝いに行ったの。一人でね。
船で韓国まで行ってね、汽車でずーっと北朝鮮を通って、鴨緑江を渡ってね。またずーっと汽車に乗って北京に行ったの。
そのころは北京には日本人がたくさん住んでたの。
しばらく姉を手伝って、また帰ってきたの。

 

【 結婚 】

結婚したのは傷痍軍人の方でした。足がありませんでした。
家族はみな反対しましたが、私はお国のために働いた人なのだから、と看護婦になるつもりで結婚しました。
必死に看病して尽くしましたが、間もなく亡くなってしまいました。

その看病を見てくれていた夫の弟が、嫁に欲しいと言ってくれて、再婚しました。
まじめな人でした。でも、酒とたばこが好きでね。
特にタバコは好きで、のちには肺がんで亡くなりました。こーんなに血を吐いてね。だから、息子にも酒はいいけど、たばこは吸うなと言ってます。